ママの離婚後
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離婚後5年後の私と彼
工場で働くことになってから、
毎日時間に追われて過ごすようになりました。

子供たちにも
「早く起きなさい!」
「早くご飯を食べなさい!」
「早く片付けなさい!」
「早く寝なさい!」
「早く!」「早く!」ばかりでした。

県の出先機関と工場の始業時間は10分ほど、
工場のほうが早かったのですが、
工場は、広い敷地内を駐車場から
更衣室のある建物に入り、そこで着替え、
仕事場のある別の建物に移動して、
そこでタイムカードを押して、
初めて出勤となっていました。
始業時間10分の違いは、30分ほどの違いでした。

兄タロウは、保育園に着くと、
「保育園に行かない!」と泣きました。

9月に大きな人減らしがあり、
今度は、絶対ママはリストラされると思いました。
よく遅刻(子供の突発的な熱で病院に行く)していたからです。
でも、ママは大丈夫でした。
その時、「ありがとう、これからもがんばります!」と
思ったのですが、数日後、弟タロウが指を挟んで、
爪が少し浮いたようになったので、
病院に行くため早退させて貰った時に、
”これでいいのだろうか?”と不安になりました。

ある朝、いつものように保育園にタロウ達を
送っていったときに兄タロウが
「保育園に行かない!」と泣きました。
それから、いつもと違うことを言いました。

「ママ、お願い!
僕をママのお仕事場に連れて行って!」
「僕は、ちゃんとおりこうさんにして、
ママのお仕事のお手伝いをするから!」
「だから、僕を、ママのお仕事場に連れて行って!
お願い!」
そう言われた時に、仕事では、
遅刻があったりして、申し訳ないと思っているし、
家に帰れば、得たいの知れないストーカー男に
気を張り、毎日時間に追われ、精神的につらい。
これでは、私も子供も駄目になる。
実家に帰ろう。養育費をもらおう。
そして、子供ともっと向き合える時間を持とうと
思いました。

それから、2ヵ月後には実家のある生まれ育った町に
帰りました。
母も午前中は仕事をしているのですが、
近いのと遠いのではだいぶ違いました。

子供の生活に合わせられる仕事は
なかなか見つかりませんでした。
でも、知り合いが多いので、安心できるし、
精神的には良かったです。
帰ってきて2ヶ月目に臨時職員で働くことができ、
養育費も色々と手を打って、払ってもらうようにしました。





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