ママの離婚後
小さい子を抱えての仕事
ホーム

住むところ

はじめての手紙

ストーカー

小さい子を抱えての仕事

子供も大変

生活が落ち着いた今

わだかまり

億  劫

離婚後5年後の私と彼
仕事は運よく、すぐ見つかりました。
県の出先機関での仕事でした。
3ヶ月だけの契約(更新あり)でしたが、
子供の生活に合わせられる仕事なので、
本当に良かったです。

月15日の契約で、お給料は8万円台・・・
そして、あてにしていた養育費は
最初から入ってこず・・・
児童扶養手当てを申請しました(3月)が、
初めての児童扶養手当が入ってくるまで(8月)、
わずかな貯金を崩し、そして、生まれて初めて
クレジットカードのキャッシングをしました。

養育費は、
最初ぐらいは払ってくれるだろうと思っていました。
自分からいくら払うと色んな人に言っていたし、
公正証書の住所を探し出して、夜アパートに訪ねてきて
泣きながら、一緒に愛知についてきてほしい。
1年後には迎えに来るから、待っていてほしいと
言ってきたので少しは払うだろうと思っていました。
でも、彼は払ってくれず、
4月1日に愛知に行くといっていた本人でしたが
本当は、ゴールデンウィーク過ぎまで実家におり、
失業保険でパチンコに行ったりしていたと
いうことでした。
また、失業保険も、
私たちに慰謝料・養育費として払っているから
全然残っていないと話しておりました。

仕事を始めて3ヶ月がたち、更新の時期になりましたが、
コレでは生活ができないと分かったので、
契約が切れると同時に
工場でのゲーム機の部品作りの仕事に変えました。
毎日行けば、手取りで14万円にはなります。

県の出先機関は、時間的に余裕があったのですが、
工場のほうは、時間的に余裕がありません。
事務仕事とのギャップに初めは、戸惑いました。

また子供が病気だからといって簡単には休めません。
就労時間中は、とにかく仕事です。生産量にあわせて
人減らしもあるので、子供が熱を出したら、
病院に連れて行きそのまま実家の母を迎えに
行きました。そして、自分は仕事に行きました。
そういう日は、母がいるので残業をしました。

弟タロウは、毎月、毎週のように
何かしら病院にかかっていました。
弟タロウが、1週間ほど熱を出し、母に来てもらい、
弟タロウの体調が良くなり、母が帰った次の日、
また弟タロウが熱を出しました。
その時、夜でした。
母に電話をすると、
”昨日まで、ずっとそっちに行っていて、
自分(母)も、こっちのことがあるから、
明日は行けない・・・”と言われ、
頭の中が、熱のある弟タロウ、
ママが一緒に居てあげたい、
仕事に行かないと食べていけない、
休みたい、だけど、クビになるかも・・・
そんなことでいっぱいでした。

”弟タロウ、ごめんね!
本当は、体調が悪いときぐらいママが一緒に
ずっといてあげることができればいいのにね・・・”
と、弟タロウを抱っこして泣きました。
(この時やはり仕事を休みました)

子供が病気なときぐらい休ませてくれないところは
辞めてしまえ!って言っても、
子供が病気だからといっていつも休まれたら、
雇い側も仕事にならないし、
世間はそんなに甘くありません。


前へ  ホーム  次へ